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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

街中のアジサイが見頃になった6月半ば、梅雨の合間を縫って前回の柳原通りからの続きを歩きました。柳森神社から岩本町はさほど離れていませんが、今回は地下鉄都営新宿線の岩本町駅を出発点としました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その3 [於玉稲荷から吉原町旧地]

挿絵:長谷川雪旦 両国橋(部分)


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所要時間:都営地下鉄新宿線・岩本町駅(5分)於玉稲荷(5分)弁慶橋跡(10分)浅草橋(5分)柳橋―両国広小路跡―両国橋(7分)薬研堀不動(13分)椙森神社(5分)歌舞伎発祥の地(5分)吉原町旧地・富沢神社(5分)末広神社
岩本町2丁目のマンションの間にある於玉稲荷。この辺り一帯が広大な池だったとは想像もつかない。 於玉稲荷を過ぎてから人形町通りを横断し、靖国通りに抜けるため小路にはいったところでみつけた弁慶橋跡の説明板。藍染川の痕跡はみつけられなかった。(写真選択→拡大)
浅草橋北詰にある浅草見附跡の石碑。郡代屋敷は南詰めにあった。 柳橋から浅草橋を臨む。赤い屋形船と欄干のかんざしの飾りが柳橋らしい。
柳橋を渡り終えて靖国通りに出るとすぐに、両国広小路跡を示す石碑のある緑地帯がみえてくる。 両国広小路跡の石碑。この裏に詳しく説明がされている。(写真選択→拡大)
途中、おまけで寄った薬研堀不動院。 日本橋堀留町にある椙森(すぎのもり)神社。図会では杉森稲荷社(すぎのもりいなりのやしろ)となっている。建物は殺風景なコンクリート造りだが、由緒はりっぱ。
盛んだったらしい富興行を記念する碑がたっていた。 堀留町から人形町は目と鼻の先。人形町交差点北側の歩道脇に立つ江戸歌舞伎発祥の地の説明板。甘酒横丁から浜町公園へ行く途中の緑地帯(浜町堀跡)に弁慶像と歌舞伎発祥の地という説明板があるが、本来はここがその地ということで、昨年建てられたばかりのようだ。(写真選択→拡大)
歌舞伎発祥の地説明板の通りを挟んだ向かい側、ドラッグストア前に「史蹟玄冶店」がある。 玄冶店(歌舞伎では源氏店)が「切られ与三」の有名な舞台となったのは歌舞伎発祥の地のそばだったからか、と勝手に得心。(写真選択→拡大)
吉原町旧地の産土神である末広神社。掘り割りで囲われた2丁(約200m)四方の区画の南端になる。(写真選択→拡大)

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