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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 ようやく秋の気配の10月末、都営地下鉄浅草線三田駅から歩き出しました。JR田町駅からでもさほど変わりません。
 今回歩くエリアは第一京浜と、桜田通りの間、三田の丘陵地帯です。坂道も多く、眼下に品川の海を見晴らし、月岬(つきのみさき)、潮見崎、千代ヶ崎などと呼ばれる7つの岬がある景勝地であったというのも歩いてみるとわかる気がしました。番外ですが伊皿子交差点近くの三田台公園には、伊皿子貝塚遺蹟から発見された縄文時代後期の竪穴住居跡を復元した家屋や、貝塚から直接はぎ取った貝塚断面も展示されています。小さな公園ですが、この一帯の歴史を感じられる場所です。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その11 [三田八幡宮から高輪ヶ原]

挿絵:長谷川雪旦     高輪牛町


より大きな地図で 「江戸名所図会を歩く」 11 【三田八幡宮から高輪ヶ原 を表示
所要時間:見学時間を除くと約1時間ちょっとの行程です。
都営地下鉄浅草線三田駅―13分―札の辻―5分―御田八幡神社―2分―亀塚公園―1分―濟海寺―2分―幽霊坂―9分―荻生徂徠の墓(長松寺)―7分―魚藍寺―6分―三田台公園(番外)―5分―伊皿子坂―8分―高輪大木戸跡―4分―願生寺(番外)
呼び名が三田の古称である御田にもどった御田八幡神社。 鳥居をくぐって正面の石段左側にある三田丘脈の水を湧出している場所。覆いがあるためわかりにくいが、龍の口から細々と水が垂れている。
本殿の左脇にある五光稲荷神社と、御嶽神社。真っ赤な社殿が秋の光に照らされていた。 赤い社殿の左脇の階段を登ると、御田八幡神社の裏側にあたる亀塚公園に出る。右側の階段をさらに上ると・・・
これは頂上にある亀山碑。ここに下屋敷のあった上州土岐候によって建てられたもの。 亀塚公園から聖坂に抜けてすぐ右側に濟海寺。
桜田通りに面した長松寺にある荻生徂徠の墓。国指定史跡。 魚藍坂の名の由来であろう、魚藍寺。
お賽銭箱の前面に、籠に魚の彫り物が。 伊皿子交差点を下ってくると道が二手に分かれる。右は泉岳寺、左は第一京浜へ。昔はここから左が伊皿子坂、伊皿子交差点からここまでは潮見坂と呼ばれていた。
第一京浜に出ると、緑に被われたこんもりとした小山が右手に見える。海側だけ残された高輪大木戸跡。 この碑は道路側から見るように立てたらしい。そのあとに垣根を作ってしまったので、道路からは史跡という文字しか見えなくなっている。狭い垣根との間に割って入って写真を撮る。
高輪に牛がいたなんて!まったく面影すらないと思っていたが、牛供養塔なるものがあるお寺を高輪大木戸跡の近くに見つけた。(写真選択→拡大) 願生寺にある牛供養塔。

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