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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 光明寺の池の次は新田大明神社です。今回訪れた新田神社や古川薬師堂は江戸時代には、池上本門寺から回遊する近郊の名所として有名だったようです。今は電車も使ってしまいますが、この一帯を回って参拝して歩くくらい、江戸の人々にとっては格好のウォーキングコースだったのでしょう。今回はすべて歩けるコースですが、図会の順番とは少し違います。宝幢院の次は大森方面に戻るのが本来ですが、六郷神社を先に訪れることにしました。
 12月には古川薬師へ行く多摩川河川敷の道から、雪をいただいた富士山がくっきりと見えました。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・中村貞子


その18 [新田大明神社から六郷渡]

   挿絵:長谷川雪旦  ▲矢口古事(やぐちのこじ)


所要時間: 歩く時間と見学時間を入れて全行程2時間半ほど。
東急多摩川線武蔵新田駅―3分―新田大明神社―5分―十騎社(十寄神社)―10分ー(番外)東八幡神社・矢口の渡し跡ー20分―古川薬師堂(安養寺)―5分―高畑村光明寺(宝幢院)―15分―六郷八幡宮―7分―六郷渡し跡(北野天神)―3分―京急六郷土手駅
新田神社 武蔵新田駅から意外と近かった。 新田神君の碑(古廟碑)図会ではこの全文が記載されている。
新田義興の墳墓と伝えられる塚は本殿の裏にある。塚の前には道標が。 そうか、破魔矢はここが発祥の地であったとは。平賀源内はアイデアマンだね。(写真選択→拡大)
十騎社。ここは本殿はなく、拝殿のみがある。「本社は一堆の荒塚のみ」と図会にはあるが、裏にはなにもなかった。 (番外)十寄神社から多摩川方面に歩くと、川沿いの東八幡神社には「矢口の渡し跡」の碑が。ここから多摩川河川敷に降りる。

次の古川薬師には多摩川沿いに歩いて行ける。なかなか気持ちの良い散歩道。12月に歩いたときは富士山がよく見えた。
古河薬師正門の前には古川道道標が移築されている。 イチョウの木のそばにたつ「銀杏削取折取禁制碑」。乳の出ない人たちがここで祈るだけではたりないとばかり、乳根を削ったり折ったりして持ち帰ったらしい。
大綱山光明寺。鵜木村の光明寺は寺号で、こちらは院号の「宝幢院」で呼ばれている。 本堂内部の様子。ガラス細工のような意匠が施されている。外観は現代建築だが、境内全体の雰囲気は悪くない。
山門を入って左側にある鐘楼。多摩川の河原で鋳造されたといわれる梵鐘は大田区文化財。 東南方向へ15分ほど歩いて六郷神社へ。境内も広く、堂々とした雰囲気があった。
社務所の前庭に保存されてる、この何ともいえないユニークな狛犬はここで一番! 台石にははっきりと読み取れる文字が刻まれている。
ふふふ。思わず、笑ってしまう。 神社から再び多摩川方向に出て、六郷渡し跡を探す。本来の場所は野球場やらで、それらしき物はみつからない。六郷橋の下をくぐって、北野天神というところになにやらあるというので・・・・・
あった!!ないな〜と思ってあきらめて六郷土手駅方面へ出ようとしたその出口付近に説明板があった!(写真選択→拡大) さらに六郷橋の方を見ると、なにやらモニュメントのようなものが。これは明治の六郷橋のアーチと橋柱ではないか?と思ったら大正のものであった。今の橋に掛け替えるとき、悲惨な事故があったそうで、その慰霊碑もあるようだ。

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