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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

江戸名所図会を歩く

 前回に引き続き、麻布から広尾・白金方面へと歩きました。図会に取り上げられた寺には観世音・薬師如来・毘沙門天・地蔵尊と様々の仏様が安置されており、江戸市民の信仰の幅広さが感じられます。
 歩いたのは猛暑から一転して秋の長雨のような天気の続く8月下旬で、蝉時雨がやかましいほどでした。

【取材】歩いた人(文・写真):広報部会・菊池真一


その22 [霞山稲荷明神祠から冬嶺山松秀寺]

   挿絵:長谷川雪旦  ▲広尾原(ひろおのはら)

所要時間: 歩く時間と見学時間を入れて全行程2時間30分ほど。
東京メトロ六本木駅-10分-霞山稲荷明神祠(櫻田神社)-1分-朝日観世音 (専称寺)-1分-子安薬師如来 (正光院)-5分-有栖川宮記念公園-7分-瑞泉山祥雲禅寺-5分-土筆が原(広尾原)跡-2分-毘沙門天(天現寺)-15分-鷺森神明宮跡-5分-氷川明神社(白金氷川神社)-3分-冬嶺山松秀寺-2分-東京メトロ・都営地下鉄白金高輪駅
六本木ヒルズのそばにある櫻田神社の鳥居。 境内にある天水桶。文政9年(1826)に奉納されたもの。
専称寺本堂。墓地には沖田総司の墓があるが、非公開。 正光院本堂は戦後再建されたもの。
墓地にあった仏像型の墓碑。 享保6年(1721)と刻まれている。 有栖川宮(ありすがわのみや)記念公園。丘陵や渓谷もあって散歩には最高。
「広尾散歩通り」の突き当たりにある祥雲寺の山門。 広大な墓地には大名や文化人の墓がたくさんある。黒田長政の墓は実に立派。
「玄冶店(げんやだな)」の由来となった岡本玄冶の墓。探すのはかなり大変! 土筆が原(広尾原)があったのは都立広尾病院のあたり。
挿絵に描かれている「広尾水車(みずぐるま)」。渋谷川の水を取り込んでいる。
挿絵の橋と思われる新橋から見た現在の渋谷川の様子。
天現寺の毘沙門堂。「毘沙門天王」の石碑が建っている。 堂の前にある虎石像が睨みをきかせている。
鷺森神明宮の跡と思われる鳥居と祠。 白金氷川神社の鳥居。
本殿横の稲荷神社の石段に置かれている親子狐。 微笑ましい姿をしている。 松秀寺山門。門前には「日限(ひきり)地蔵尊」の石碑がある。
日限地蔵尊が安置されている本寿院。 挿絵に描かれた六地蔵が今も残っている(最後列)。

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