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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


広重『名所江戸百景』周辺探訪-その13〔神田川下流(外濠)周辺〕-

 11月8日(日)JR総武線浅草橋駅集合。各班、駅前江戸通り沿いにある浅草見附跡(浅草橋)から係の人の説明を受け、神田川下流外濠にかかる橋を台東区・中央区・千代田区・文京区と出たり入ったりして歩きました。
 立ち寄った湯島聖堂内の大きな孔子像や楷の木(楷書の由来とされる木)前を通り神田明神では七五三のお参りで大変賑わっていました。あいにくの雨でしたが係の方が詳しく絵図やその周辺を説明してくださり、JR総武線水道橋駅前で解散。2時間30分の楽しい見学会でした。

【取材】文・写真:広報部会・竹中祐見子

この見学会の詳しい記事は『えど友』89号(1/1発行)に掲載されます。


浅草見附跡 神田川が隅田川に注ぐ手前に位置し、道は浅草寺に通じます。 郡代屋敷跡 徳川幕府の直轄地(天領)を管理した代官の筆頭ともいう関東郡代の役宅跡です。
郡代屋敷跡の説明板(写真選択→拡大)
初音の馬場は江戸最古の馬場であったといいます。現在の馬喰町は横山町と並んで繊維品や生活用品の問屋街となっています。 「馬喰町初音の馬場」絵
太田道灌が鬼門除けに植えたという柳並木は、享保の頃にはなくなっていました。後に将軍徳川吉宗が、柳のないのを惜しみ、「柳を植えよ」と命じたといいます。明治6年、この土手は撤去され、今、残っているのはこの土手にあった柳森神社のみとなりました。 藤堂和泉守邸が近くにあったため和泉橋と呼ばれたこの橋は柳原土手から北側にかかり、美倉橋と万世橋の間に位置します。
柳森神社は、神田川の土手にあり、うっそうと茂る柳に囲まれる古い神社です。太田道灌が江戸城の鬼門除けとして神田川の岸に創建したといわれています。 赤煉瓦造りの建物が見えますが、その建物の一帯が万世橋駅跡です。
煉瓦造りの遺構が残るところが、明治時代に開業した万世橋駅跡です。この付近のやや西に、筋違橋がかかっていました。 「筋違内八ツ小路」絵
「昌平橋聖堂神田川」絵 ビルが建って見えませんが、向こう右側が聖堂です。
湯島聖堂付近昌平坂 右側の道路が中山道、左石垣から一帯が湯島聖堂です。 湯島聖堂境内、左手楷の木。奥正面に孔子像があります。
現在は神田明神の駐車場になっています。絵は、写真手前右側の藤棚付近から写し取ったといわれています。
眼下の景色は、現在多くの建物が立ち並んでいます。 「神田明神曙之景」絵
絵と同様、元町公園高台から撮影。木立に隠れて見えませんが、眼下の道路の奥に神田川が流れています。右手奥が現在の水道橋駅になります。
「水道橋駿河台」絵 絵と同じ立ち位置から景色を眺めながら説明を受けました。

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