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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


『江戸名所図会』の挿絵で歩く江戸の町(3)-岩本町から吉原町の旧地まで

 12月6日(日)、曇天の初冬の午後、和泉橋北詰広場から班毎に『江戸名所図会』の挿絵のうち5枚の跡をめぐりました。最初の挿絵「於玉ケ池古事」付近に着く前に寄り道、柳原(土手)通りの岩本町・東神田バザーをのぞき、江戸の古着市の雰囲気に浸ったあと、お玉ケ池跡、お玉ケ池種痘所跡など見学しました。次の「弁慶橋」は「藍染川」に架かっていた変形橋で、のち赤坂見附に移築されました(ただし、原形はとどめていません)。大伝馬町に向かい、挿絵「錦絵」の地本(じほん)問屋蔦屋(つたや)跡、大門通りを抜け、日本橋富沢町の富澤稲荷、旧吉原入口の大門跡地、末廣神社、最後に玄冶店(げんやだな)跡を見て東京メトロ人形町駅前で解散しました。

【取材】文・写真:広報部会・内匠屋京子

この見学会の詳しい記事は『えど友』90号(3/1発行)に掲載されます。

和泉橋上から見た、川めぐりの船着き場横の集合場所「和泉橋北詰広場」 柳原土手の古着市を髣髴とさせる岩本町・東神田ファミリーバザー
東京大学医学部の母体となったお玉が池種痘所の記念碑(碑の裏に説明文) 種痘所記念碑近くのお玉稲荷大明神
元は不忍池と同じ位の大きさであった「桜ケ池」で、お玉が身投げをしたという古事から「お玉ケ池」と呼ばれた お玉ケ池種痘所跡(写真選択→拡大)
神田お玉ケ池畔にあった北辰一刀流千葉周作道場跡 将軍家御用鎧師・岩井家屋敷があったことに由来する神田元岩井町(写真選択→拡大)
藍染川の曲り角に、橋を三つ合わせ架けた形が長刀に似、その名がついた弁慶橋跡(写真選択→拡大) 竹森(たけのもり)神社は江戸七森の一つで小伝馬町三丁目の守護神
カーブしている浜町川・東京都下水局通路に沿ったマンションもカーブ 馬喰町駅近くの鞍掛(くらかけ)橋横の店先に置かれた紹介プレート(写真選択→拡大)
日本橋の地本(じほん)問屋蔦屋重三郎「耕書堂」跡。鶴屋は斜向かいにあった(写真選択→拡大) 呉服店、銅物屋、馬具屋など軒を並べていた大門通りの歩道上にある敷石
大門跡地・旧吉原入口あとの交差点 日本橋富沢町の守護神、富澤稲荷神社
末廣神社は日本橋人形町にあり、日本橋七福神の毘沙門天 人形町交差点近くの玄冶店(げんやだな)跡の碑

バナースペース

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