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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


門前仲町から茅場町まで―明治丸~掘割跡と「下り酒問屋」―

 寒くなってきた少し陽のあたる午後に東京メトロ門前仲町駅交差点に集合し、人数が集まったところで、順次出発しました。東京海洋大学は、コロナ禍で公開はしてなく門の外から遠めに明治丸を眺めました。この日は、風がありレジュメを見ながら説明を聞くのに紙が風に飛ばされそうになりながら進みました。
 佃島周辺では、お祭りで馴染み深い住吉神社や広く知られた佃煮屋さんもあります。お買い物は、見学会途中なので終了後になります。途中隅田川に架かる中央大橋では、川を行き来する船があったりして気持ちが和みます。 新川地区の越前堀跡・新川跡を歩き日本橋川沿いに旧永代橋西詰跡がありました。昔は、今の永代橋と違う位置にあったことがわかります。ここで、赤穂浪士が永代橋を渡ったという話もありました。日が落ちるのが早くゴールに辿り着くころには、大分暗くなってきていました。東京メトロ茅場町駅で解散です。

【取材】文・写真:広報部会・元沢 宏

この見学会の詳しい記事は『えど友』118号(1/1発行)に掲載されます。


門前仲町駅に集合した順に班にまとまって順次出発。 東京海洋大学第一観測台は、当時東洋一といわれた天体望遠鏡を備えた半円形ドーム。第二観測台には、子午儀が置かれていた。
鉄船時代(現在は、鋼船)の造船技術を今に伝える国の重要文化財の明治丸。 この地にあった練兵場に明治天皇が行幸したことを記念して明治天皇聖蹟の碑を昭和18年(1943)11月に完成。
佃天台地蔵尊への入り口通路は、人が並んでは、通れず一人で通行になります。 平らな石に彫られた珍しい地蔵尊。子の守護や長寿延命祈願の地蔵尊。
佃住吉講は、住吉神社の例祭で使用する幟(のぼり)の柱と抱木(だき)が堀に水中に埋められている。 佃島の老舗佃煮屋3店の内1店、佃島_つくだに天安。他に丸久、佃源田中屋がある。
隅田川の佃の渡し場跡。江戸期には不定期運行し1日に70往復賑わった渡し。昭和39年(1964)佃大橋架橋に伴い廃止になった。 住吉神社は、佃島が安政大地震、関東大震災、戦争中の空襲被害を受けずにすんだと地元の崇敬が厚い神社。
隅田川に架かる橋、中央大橋です。 メッセンジャー像は、上流方向を向いているので後ろ姿しか見えない。
日本の標高算定の出発点になった場所、霊岸島の一等水準点「交無号」 新川の跡。新川は、亀島川から分岐し隅田川に合流する運河でした。
酒問屋の守護神・酒造問屋の神様である新川大神宮。 新川大神宮への奉献清酒菰樽。縁を結ばれている全国各地の酒造家より奉納の菰樽(二斗樽=36L)
旧永代橋西詰の石碑。旧の永代橋は赤穂浪士が本所松坂町の吉良邸から泉岳寺に向かうときに渡った橋でも有名。

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