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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


再訪・品川宿を巡る-徳川将軍家との縁-

 晴天で強い風が吹いている昼頃、京浜急行青物横丁駅に集合。旧東海道に出て海雲寺から日本橋方面に進みました。当時と同じ道幅の街道筋を歩き、問屋場跡で、「人馬の継立業務、幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務を行った。」との説明を聞き、物流と品川宿の大きさを感じました。 目黒川に架る品川橋を左に折れて荏原神社。東海寺は、閉門時間が早まり、見学できた班とできなかった班があった。品川神社を巡り再び旧東海道、本陣跡(聖跡公園)を見て横丁の多い街道筋の土蔵相模跡を確認し京浜急行北品川駅にて解散となりました。所要時間約3時間。

【取材】文・写真:広報部会・元沢 宏

この見学会の詳しい記事は『えど友』121号(7/1発行)に掲載されます。


京浜急行青物横丁駅の改札出口階段下に集合した。 旧東海道を日本橋方面へ。道幅は、江戸時代から変わっていない。
海雲寺、本堂に本尊の十一面観音が安置されている。 海雲寺の荒神堂内部に信徒が奉納した27面の扁額がある。扁額には、板ガラスに絵が描かれた「ガラス絵」もあり、これは区内唯一の貴重なものである。
品川寺(ほんせんじ)門前に「江戸六地蔵」の第一番とされる銅製の地蔵菩薩坐像が鎮座。 品川寺の梵鐘は、徳川家綱が家康、秀忠、家光の供養のために寄進したもの。パリ万博に出品したため「洋行帰りの鐘」といわれている。
旧東海道品川宿近辺の道筋(路地の先)は、江戸時代、海に面していた。 天妙国寺、天正18年(1590)関東に入国した徳川家康もここに宿泊した。
長徳寺は、寛正4年(1463)三河の徳川有親(徳川家の祖とされる)が開創である。 品川宿 問屋場・貫目改所 跡地。問屋場は宿場で最も 重要な施設。
目黒川に架る品川橋 品川橋を渡り、左折して、荏原神社へ。南品川の総鎮守である。
東海寺は、2時30分に着いたが閉門のため見ることができなかった。 東海寺隣接の細川家墓地(一般公開なし)を遠目に見た。
急な石段の品川神社。帰りは女坂を下った。 品川神社境内には、宝物殿、神楽殿、板垣退助の墓や富士塚、金運のパワースポット阿那稲荷神社があった。
品川本陣跡の説明板。本陣跡は、その敷地の形のまま聖跡公園となっている。 一心寺のご本尊は成田山の分身である不動明王。
法禅寺の流民叢塚(そうづか)は、天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔である。 日本橋から2里の場所が品川宿であり、一里塚の碑が立っている。

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