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学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


「我が町」両国界隈を歩く

 江戸東京博物館のある「我が町」JR両国駅に集合し、江戸博を中心に「我が町」を一周しました。両国は明暦の大火(明暦3年・1657)の大災害を契機に、隅田川に両国橋が架かり、両岸のたもとに火除地として広小路を設け、犠牲者を供養する回向院を建立したことから発展しました。当日は雨の予報がありましたが、最後まで降られることなく、3時間半のまち歩きを終えて、出発地点の両国駅に帰り解散しました。

【取材】文・写真:広報部会・前田卓雄

この見学会の詳しい記事は『えど友』128号(9/1発行)に掲載されます。

両国駅 昭和初期のレトロなデザイン。アーチ型の大きな3つの窓と中央の時計に特徴がある。 百本杭跡 隅田川の湾曲部の水の勢いを抑えるために打ち込まれ、両国橋・隅田川の風物誌として親しまれた。(写真選択→拡大)
もゝんじや 享保3年(1718)創業のしし鍋・ぼたん鍋の老舗。現在も営業している。 両国橋 明暦の大火(1657)を契機として隅田川に架けられた2番目の橋。
片葉の葦 本所七不思議の一つ。両国橋北側の入り堀に生えていた葦が片葉だったのは、この辺りで起きた殺害事件に由来するとのうわさから生じた。(写真選択→拡大) 春日野部屋 第44代横綱栃錦が昭和34年(1959)、9代春日野を襲名。相撲協会理事長を14年間務めた名門の相撲部屋。
与兵衛すし跡 江戸のにぎりずしの発祥の地(写真選択→拡大) 回向院正門跡 江戸時代、回向院は両国橋の真正面にあった。現在の回向院は90度西向きに変わっている。(写真選択→拡大)
回向院ご本尊阿弥陀如来 2代目のご本尊。高さは282cm。後ろには千体のお地蔵様が祀られている。 鼠小僧の墓 本名町田次郎吉。100回以上、3,120両(約3億円)盗んだとされる。
吉良邸裏門跡 赤穂浪士が討ち入りをした吉良邸は東西73間(約132m)、南北34間(約62m)、2550坪(約8400㎡)あり、裏門は大石主税以下24名が門を破って侵入した。(写真選択→拡大) 本所松坂町公園 吉良邸の86分の1が公園として残されている。毎年、討ち入りの12月14日義士祭が開催されている。
吉良上野介義央の座像 公園正面に、上野介50歳の時の寄木造座像が祀られている。 芥川龍之介文学碑 龍之介は明治25年(1892)、現在の中央区明石町で生まれ、辰年、辰の日、辰の時にちなんで龍之介と名づけられた。生後7か月で本所に住む母の長兄に預けられて、青年期まで本所両国で育った。
勝海舟生誕の地 海舟は文政6年(1823)、この地にあった男谷(オダニ)家で生まれ、幼少期を過ごした。 榛稲荷神社 葛飾北斎の住居跡。北斎は生涯93回引っ越したといわれ、80歳の頃、この地に住んでいた。
すみだ北斎美術館 90年の生涯をほとんど墨田区で過ごした世界的画家北斎を区民の誇りとして顕彰すると共に、地域活性化の拠点とするため、墨田区が平成28年(2016)に創建した。 津軽の太皷 緑町公園があるところは、江戸時代津軽藩上屋敷があり、なかに火の見櫓があった。通常、火災を知らせる時は板木を鳴らすが、この櫓では太鼓を叩いた。なぜ太皷が許されたか誰も知らなかったの本所七不思議のひとつに数えられた。(写真選択→拡大)
野見宿禰神社 相撲の神様と言われる野見宿禰を祀る神社。境内には歴代横綱の四股名を刻んだ碑2基がある。新横綱が誕生すると神前で土俵入りが披露される。 三遊亭圓朝の住居跡 江戸末期から明治にかけ活躍した落語家。近代落語の祖と称されている。(写真選択→拡大)
八角部屋 元横綱・北勝海(ほくとうみ)が平成4年(1992)創設。現在、相撲協会理事長を務める。 復興記念館 関東大震災による遭難者と、太平洋戦争の東京大空襲で亡くなった方々約168,000名を慰霊するために創建された。
東京都慰霊堂 関東大震災の災禍を永く後世に伝えるため、昭和6年(1931)創建。その後太平洋戦争の東京大空襲の遺品等も合わせ展示するようになった。 旧安田庭園 江戸時代本庄松平氏の下屋敷であったが、その後大名庭園として築造され、明治になり安田財閥によって買い取られ、その後東京市に寄贈された。現在は、墨田区立の庭園となっている。

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