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見学会


広重『名所江戸百景』周辺探訪 ―その 11(白金・目黒周辺)―

 歌川広重が『名所江戸百景』で描いた場所とその周辺を歩く見学会の11回目が、11月9日(日)に行われました。朝方の雨も上がり陽の差す中、「白金高輪」駅を出発し、白金・目黒周辺を巡りました。今回取り上げた6枚の絵の内3枚に富士山が描かれており、当時この辺りは見晴らしの良い場所であったことが分かります。現在ではビルが多くなって富士山を望むことは困難ですが、急な坂道を上り下りしていると、広重の眺めた風景が眼前に広がるように思えてきます。また、途中には多くの寺や元祖山手七福神などの見所も多く、街歩きも十分に楽しめました。幸い雨に降られることなく「代官山」駅で解散となり、心地よい疲労を土産に帰途につきました。

【記録】文・写真:広報部会・菊池真一

この見学会の詳しい記事は『えど友』83号(1/1発行)に掲載されます。



立行寺(りゅうぎょうじ)境内にある大久保彦左衛門の墓 すぐ裏手には一心太助の墓も建てられている
四の橋
「広尾ふる川」絵:古川(渋谷川)に架かる四の橋(しのはし)と広尾原の眺め 三光坂を上る
松平十郎麿(水戸家徳川斉昭の十男)邸跡地の聖心女子学院は右奥にある 黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、瑞聖寺(ずいしょうじ)の大雄宝殿(本堂)
松平讃岐守邸の跡地は、国立自然教育園と東京都庭園美術館になっている 目黒不動(滝泉寺)の参詣道であった行人坂
行人坂の大火(明和9年・1772)の火元となった大円寺 大円寺石仏群(五百羅漢像)は、行人坂の大火犠牲者追悼のために造られたもの
細川越中守邸の跡地にある目黒雅叙園 入り口付近の「お七の井戸」があるのは、八百屋お七の恋人吉三(西運)ゆかりの寺、明王院があった場所
太鼓橋と目黒雅叙園アルコタワー(夕日の岡のあった辺り)
「目黒太鼓橋夕日の岡」絵:目黒川に架かる太鼓橋と夕日の岡の雪景色 目黒新橋のたもと(目黒駅寄り)にある権之助坂碑
「目黒千代が池」絵:新田義興の愛人、千代が身を投げた故事から千代が池と名付けられた 千代が池はこの坂上辺りにあったといわれる
「目黒爺々が茶屋」絵:徳川家光の逸話が残る爺々が茶屋からの、富士山方面の眺め 爺々が茶屋のあった茶屋坂
「目黒新富士」絵:北方探検家として有名な近藤重三の築いた富士塚(新富士)からの、富士山方面の眺め 新富士の跡地に建つマンションからの西方向の景色(富士山は見えません)
「目黒元不二」絵:富士講の人々が築いた富士塚(元富士) からの、富士山方面の眺め 広重が「元富士」を描いたと思われる場所からの景色(右側の高層アパートの辺りに元富士があった)

バナースペース

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