本文へスキップ

学ぼう <江戸東京の文化> そして、未来へ

  

見学会


浅草周辺の寺社を歩く

 当日は、4月下旬とはいえ季節が1カ月ほど戻ったような、肌寒さの感じられる日でした。訪れる機会の多い浅草ですが、今回は普段通りすぎてしまうような、浅草寺境内に点在する史跡などを辿る興味深い見学会となりました。
 伝法院通り東側にある白浪五人男の人形や、12本の地口行灯に書かれたダジャレも楽しませてくれます。
 昨今の来日観光客の増加で、浅草界隈は大変な賑わいになっています。
 しかし、本堂を抜けた奥山からは賑わいも消え、ほっとするひとときでした。
 東京大空襲のときにも焼失を免れた浅草神社では、3基の宮神輿が三社祭での出番を待っていました。
 待乳山聖天、今戸神社を巡り、今戸焼のただ1軒だけ残る店を覗き、桜も散って新緑のまぶしい隅田公園を浅草駅前まで歩き解散となりました。本日の歩行数は1万2千歩でした。

【取材】文・写真:広報部会・福田 徹

この見学会の詳しい記事は『えど友』110号(7/1発行)に掲載されます。


花川戸交番脇での受付 昭和35年松下幸之助の寄進により再建された雷門
伝法院通り、商店のひさし上に弁天小僧 伝法院通りの地口行灯
仲見世通りにある創業300年以上の歴史をもつまんじゅうや「金龍山」 仲見世通りで浅草寺のあゆみの説明を聴く
宝蔵門と五重塔 宝蔵門裏側にある重さ500Kgの大わらじ。
本堂に向かって右手にある旧五重塔跡 弁天山にある、江戸時代の「時の鐘」の一つ。芭蕉の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で知られる
新橋の料亭、芸者の組合が奉納した「志ん橋」の文字が入る本堂の大提灯 室町時代の建築、境内で最も古い六角堂
現存する都内最古の石橋(しゃっきょう)。東照宮の参詣の神橋として造られた 1649年に再建された二天門。現在の二天は寛永寺徳川家綱霊廟から拝領した像
三社祭を間近に控え出番を待つ浅草神社の宮神輿 待乳山聖天の本堂
待乳山聖天のお供え用大根 待乳山聖天本堂裏の戸田茂睡の歌碑とバックにスカイツリーを望む
縁結びの神、沖田総司の終焉の地でもある今戸神社 ただ1軒残る今戸焼の店白井をのぞく

バナースペース

江戸東京博物館友の会

〒130-0015
東京都墨田区横網1-4-1

TEL 03-3626-9910